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BLOG 私の母は毒母です

【書評】毒母にコントロールされてきた私の説明書があった。

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この本は、If you had controlling parents”という原題どおり、コントロールする親の元で育ち、大人になってからも、自分の人生を生きるのに大きな苦労が伴う人の、これからの人生をサポートするための本である。

私はまず、この本を手にとって、原著者が外国人ということで、救われる気持ちになった。

暴力を振るわれたわけではない、ご飯は食べさせてもらった、服は着せてもらったし、進学もさせてもらった。

そんな私が、生きづらく思うのは、自分と言う人間に問題や欠陥が有るからだと思っていた。

また、他者の愛を求め、人を信じようとすることは「お話の中だけで、本当ではない。不毛なこと。」との意識を植え付けられてきた私は、今でも、本当に愛情深い関係がこの世に実際に存在するのかどうか半信半疑だ。

今でも、毒母に夫のことを疑うように吹き込まれる。

だから、

「外国にも、私と同じ感じ方をしている人がたくさんいて、翻訳されて読まれるほど、同じ風に悩んでいる同士がいる。」

このことは、私にとっては、自分のことを勇気をもってふり返る大きな支えとなった。

 

息苦しく、生きづらく感じているのに、それは、私が過敏で、臆病で、偏屈だから。
そう思って、あきらめていた40年だった。

とても辛くて、読み切るのには時間がかかったけど、
この本を読んで、私の目の前に人生という道が開けた気がしている。

 

表面的にしか読書してないやつらが、またしても、物書き気分で独りよがりなamazonレビューを展開。くっそ腹が立つ。

この本のamazonレビューを読むと、予想通り賛否両論があり、否定的なレビューに、予想通り私は傷つく。

例えば、アマゾン華子さんは、こう書かれている。

「毒になる親」と比べると、毒度は低く、その被害実例証言も
「父と2人で凧揚げに行ったが、父は一度も私に凧をさわらせてくれなかった」
「会社の人たちの前でうまくふるまえるよう、事前に家でリハーサルまでやらされた」
などと、確かに傷つくかもしれないけど…

~中略~
(アマゾン華子さんの書評を支持するコメントへの返信)

…この本で癒された誰かを傷つけてしまっているのでは? と(書評を)削除するべきか迷いましたが、そういってもらえると少し救われます。

「不幸にする親」がかすり傷・・・とまで言う気はないけど、世の中には「毒になる親」のような深刻な虐待親が、確かにいて。今、この瞬間にも、自分よりも幼い年齢の子どもたちが、犠牲になっているんだってことは、頭の片隅にいれながら読まないといけないなって感じたんです。

本物の「毒になる親」に育てられた子どもにとっては、例え親が凧をさわらせてくれなかたっとしても、「親が凧あげに連れて行ってくれた」というだけでもうらやましくて、涙をこぼす可能性が高いでしょう。

おまえ何様やねん。
毒度が低い?
かすり傷とは言わないって、言ってるやろ、
凧だけ取り上げて、一事が万事ということの例と分からないアホか、
本物かどうかなんて、なんでおまえにわかる。

私は、身体的な虐待で殺された子どもも、
長年にわたる親のコントロールが原因でうつ病になり自殺する人も、
どちらも、人生を、命を奪われた人たちだと思っている。

自殺に追い込むより、直接手を下すほうが悪だと、第三者がよく決め付けられるなと思う。

法的な場面以外で、どちらが、残酷で、卑劣で、忌々しいできごとかを部外者が比較し、評価するのはしてはならないことだ。
私が傷つくのは、こうやって、問題の量を独りよがりなモノサシで測って、その大きさで問題の重さを量ろうとするする無神経な人たちだ。

自分勝手な方法で計測しながら、重い方は傷ついてよし、軽い方は傷つく方がおかしいと決め付ける偉そうな人たちだ。

人を傷つけていることに気づいていながら、自分は間違っていないと主張する身勝手な人たちだ。

自分の価値の正当化と押し付けが、周りを傷つけていることに気づかない鈍感な人たちだ。

想像力に乏しく、表面的な事実だけを取り上げ、わかった風な顔をして評価する浅はかな人たちだ。

そして、そんな毒母と同じ言動に動揺する私は、まだまだ、毒母から開放されていないと感じている。

毒母のコントロールから開放され、感じるとおりに、感じてみたい

私は、感じてはいけないと思って自分にも他者にも隠してきた感情たちを、正直に感じているものとして受け入れよう、そう思いはじめている。

私の人生は、誰とも比べようの無いものであり、自分が苦しいという気持ちを否定しなくても良いのだ、私は苦しいのだ!!

苦しいんだ!

生きづらいんだ!
自分の感情を、自分に隠すことなく受け入れる。

…この最初の一歩を踏み出すきっかけを作ってくれたのこの本だ。

 

私はむしろ、この本は、配慮に満ちていると感じている。

コントロールされた人ほど、コントロールに敏感だ。

私たちは、コントロールする側に回るか、される側に回るかしかしにくい傾向がある。

自分の感情のままに、感じ、受け入れ、自分の力で決断することが苦手だ。

また、親に傷つけられ支配されている人ほど、他者から親を批判されることを脅威に感じ、怒りがわき、はねのけたくなるかもしれない。

ともかく、コントロールされるということに対して、大きなトラウマを私たちは負っている。

「~しなさい」

「~すれば幸せになれる」

「この方法が最善だ」

そう言われると、きっと私たちは、自分で考えずに従うか、強く反発して一歩も動けなくなるか、苦しいながらも手を付けて不完全な形でしか達成できないか、どれかだろう。

本書からは、そういった押しつけ(コントロール)を極力排除して書こうとした、著者の愛情が感じられる。
コントロールされてきた子どもは、近くにいながら、保護を受けながら、自分という人間を人格を無視されてきた子どもだ。

親に心を支配されながら育った人は、大人になってもなお、内在化された親の呪いに支配され続け、苦しみ、のびのび生活できず、誰かと心を通わすことに困難を感じている。

本書は、そういった人たちが自分の過去や生き方を見つめなおし、コントロールによらない新たな生き方を模索するためのサポートブックである。
自分の感情を頼りに生きていくことは、私にとっては、今まで全く馴染みのない、心細いことであるが、挑戦していきたい。

 

私は、親から身体的な暴力を受けたわけではありません。
そういう人は、苦しむことすら許されないのですか?

アマゾン華子(のような人)に言いたい。

「本物の毒親」と認定するのは、あなたではない。私なのだ。

 

毒母との葛藤、まず誰かに話してみてください。

私も、まだ毒母と決別できているわけではなく、幼少期からの葛藤や問題を解決していくには、まだまだ時間がかかると感じている。

ただ、こうやってブログを開設し思いを綴り、毒を吐き出していこうと思えるようになったのも、私の気持ちを無批判に聞いてくれる人たちの存在があったからだ。

いきなり、心を自由に、自分の気持ちのままに生活することは難しいかもしれない。

まずは、信頼できる人に話してみる…それが、自由への一歩だと感じている。

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