一人目の子どもを妊娠した時、私はとある会社でバリバリ働いていた。
収入面で言うと、平凡な暮らしならば4人家族を心身ともに安全に養える位の収入だ。
高所得ではないが、私には身に余りある所得だったと思っている。
その“稼げる職場”には、ヘッドハンティング的な流れで転職し、色々なプロジェクトが進み始めた3年目、私は妊娠した。
その職場に引っ張ってもらえたのは、取り立てて特別なことをしたからではなかった。
真面目に、コツコツ、目の前の仕事をやっつけ、求められる役割を誠実にこなし、成果を上げていたら「うちの会社に来ないか」という人が現れたのだった。
新しい職場でも、「コツコツ真面目」で成果を上げ、少しずつ信頼を得ていた。
妊娠をきっかけに、私が積み上げてきた信頼が揺らいだ
職場では3年目。30歳の半ばに差しかかるころ、私は妊娠した。
私は専門職で、代わりのきかない立場にあった。
だからかどうか、私の妊娠は職場にとって事件になった。
私は、人間生きていれば、病気にもなるし、妊娠もするだろうし、不慮の事態はいつでも起こることは、自明のことで、まさか、妊娠がこんな大きな事件として職場で取り扱われるとは想像していなかった。
(甘かったのだろうか?それは、今でもわからない。)
ともかく、専門職ボケ、なのかもしれない。
妊娠以降、よくよく観察すれば、その職場は男性優位社会だった。
たまたま、引っぱってくれた人が、男女平等感を持っていただけで、はっと見渡した時、
「その立場にいて、妊娠ってあり得ない。」
「ここで働くつもりなら、妊娠はないでしょう。」
「あ~あ、やっちゃったよ。」
そんな空気が立ち込めていた。
先輩には「仕事じゃなくて、妊娠する人生を選んだのはあなたでしょう。」と人生を解かれた。
おのののか風味のぶりっ子事務系女子の後輩には「先輩、早くやめちゃった方がいいですよ~(クスクス)。みんな怒ってますよ~」とアドバイスされた。
私の直属の上司は、その上の上司からの圧力に負け、私を呼び出してはコンコンと自主退職をすすめた。
中間管理職で人生を終える、うだつの上がらないそのハゲ上司と一対一。
ほぼ毎日、ハゲは私にコンコンと語った。
「お願いだから、やめてくれ」
「辞表を書いてくれれば丸く収まる」
妊娠したのが、そんなにあかんことやったのか?
1年、ピンチヒッター入れて、何とかならんかとか考えへんの?
私の仕事は、専門職、少人数ではあったが、何とかならないこともない職種だ。計画的に仕事を片付ければ、産休と少しの育休中は何とか回せるような心算はあった。
そりゃ、私が神様だったら、そんだけ詰め寄られるのわかりますよ。
代わりいないし。いなくなったら困るし。
公的な機関だったら当然の対応を、私企業はやらない。
(というか、その企業はやらなかった。)
私の評価は、「期待の専門職」から一気に「職場を困らせるダメ職員」へと変わった。
マタハラ、という言葉がはやるちょっと前のこと
私みたいな女性がたくさんいて、マタハラって言葉が取り上げられるようになったんだろうな。
ただ、マタハラという言葉もない時代、おめでた退職が普通の職場において、私が普通の人ではなかった。
ハゲ上司のやめてくれ攻撃は、意外と私の心をむしばんでいた。
妊娠による体調の変化か、状況のせいか、夜は眠れなくなったし、夜中に飛び起きて叫ぶようになった。
毎日、頭がクラクラした。
仕事に行くとき、帰る道中、涙がこぼれた。
日々大きくなるお腹を抱えながら、もうどうしていいかわからなかった。
やめるのが良いことなのか、どうなのか。
ただ、仕事が好きだった、やりたいこと、できることはまだまだあった…出血しても、眠れなくても、平気な顔をして出産予定日ぎりぎりまで働いてやった。
出産を終え、産休を取って、私は仕事をやめた。
夫はどういった反応だったかというと
「そんな職場辞めてまえ」
単細胞的な発言しか出なくて、むしろいらだった。
夫的には、私に寄り添ったつもりのセリフ。
でも、わかってる?
私、ここでこのまま働けたら、けっこうな稼ぎになるんやで?
長い下積みで、ここまで引っぱってくれた人がいて、上司や組織はクソやけど、私の専門性を評価している人がいる職場。
出産して、育児をしながら、そんな職場に出会えると思う?
(実際にそれは無理で、現在に至る。)
そんなに器用でも才能があるわけでもない。
踏ん張って踏ん張って、やりたい仕事ができるところまできた。
そんな簡単に、気持ちの整理がつくはずがないやろ。
「俺は、専業主婦の方がいいってずっと言ってるやろ」やって!
むかつく、むかつく、むかつく!!!
夫にも、死ぬほど腹が立った。
今思い返しても、その職場にいた3年間は、私が職業人として一番輝いていた時期だったと思う。
マタハラは、いじめ。それだけ。
皆には言われたよ。
「赤ちゃんできてよかったやん。」
「前向きになったら?」
わかるよ、そういう人の言葉は。
私の代わりをする人なんていくらでもいるだろうし、私がいなくても職場は大きくは困らない。
母になることは、尊くて、大変で、幸せなこと、みんなそう思ってるよね。
でも、私は、いまだにこの時のことを納得していない。
出産や育児は、仕事と天秤にかけ、「選ば」なけばならないものなのだろうか。
子どもを取って、プロの道は諦めるのが「普通」なんだろうか。
トップアスリートなら、体を使うから選ばねばならない事態なのだろうが、私は、言うてもその辺にいるサラリーマンだった。
その辺のサラリーマンだったけど、産休のブランクがあっても、職場に損をさせない自信はあった。
当時も、今も、いじめられた気持ちしかしない。
その組織の多くの人が抱えている、理想の女性や母親像を私が素直に体現しないことについて、その多くの人たちが不満に思っただけだと思う。
「素直じゃないやつ、反発するのか、いじめてやれ」
そうとしか思えない。
確かに、私は、大きなおなかを抱えながら、いつも移動は小走りだったし、仕事を変わらずたくさんこなして昼ご飯食べられなかったな~っていう日もあった。
お腹の子どもに話しかけることは一度もなかったし、妊婦らしい生活は何一つしなかったと思う。
「でも、別にいいやん。これが私なんやから。」そう思って、自分らしく過ごすことを挑発ととる人もいるのだろう。
いつも考えている。
もし、私に子どもができなかったら。
もし、結婚して無かったら。
仕方ないんだから、タラレバで考えるクセ辞めたいなと思う今日この頃。
いや、こどもは、かわいいし、今のところ、順調に育ってますよ。