このブログを立ち上げ、本を読み、私はずいぶん進歩したと思う。
夫に心の中ではキレまくり、でも、面と向かっては何も言えない従順な妻だった。
ただ、うっ積した思いは行き場を無くし、抑うつ的になるか、怒りを爆発させて手がつけられなくなるかどっちかだった。
適切に、自分の感情をコントロールできない。うつの繰り返し。
『不幸にする親』を読み終えてしばらくたっている。
悩んでいた。自分を受け入れ、新たな関係を、夫とまた、やっていけるかもしれない。
そんな希望が、私の中に芽生え始めていた。
Contents
思い切って、毒母のこと、歪んだ私のこと。夫に話してみようと思った。
酔っている夫に話すのは、何となく気がひけたが、
逆に、いい加減に聞いてもらった方が話しやすい気がした。
私は、「夫に比べて親に愛されて育っていない」という、負けを認めるようなセリフから、話に入った。
私は温かな愛情の中で育ってこなかったことがあって、歪んでいる。
生きづらい。しんどい。
私が目をそらし続けてきた、気づこうとも、認めようともしてこなかった事実。
思い切って言ってみようと思った。
「私は、誰と結婚しても、うまくいかなかったと思う。」
私は、いつものように、こんな時でさえ 相手に気を使って、自己反省から話に入った。
まず、自分を下げてからしか話ができない私の悪い癖だ。
次の瞬間、彼から放たれた言葉は、鈍く重く私を打ちのめした。
「わかるわ〜。前の嫁とよう似てるもん、お前。」
こんなときに、夫は過去の離婚話を持ち出した!
夫は、私と出会う10年ほど前、離婚をした。
離婚理由は、一言で言えば性格の不一致らしい。
非を認めることについてはお互い一歩も譲らず、親権を巡って意地の張り合いの裁判をし、泥沼のまま決着を迎えたと聞いていた。
夫は、心底前妻を憎んでいるようだった。
いつも、前妻をバカにしているような話をしていたが、会ったことも見たこともない人。
何か、そういう話を聞くたびに、居心地が悪かった。
ともかく、
夫が最も嫌う前妻と私はよく似ていて、誰ともうまくやれない女と私のことを見下し、「離婚の経験をとおして人間力がアップした俺だからこそ、お前との結婚生活は何とかなっている。」と言い放ったのだ。
あたかも、今の結婚生活は、夫の我慢の元に成り立っているそんな口ぶりだった。
ナンダソレ。
夫とまたやり直せるかもしれない。
そう思っていた自分が、情けなかった。
蘇る。思い出す。
そうだった。
夫だけを頼りに、家を飛び出し結婚した私だった。
親は、私が誰と交際をしても否定し、批判し、許そうとしなかった。
夫と結婚しようと思った時も、母は口を利かなくなり、私の言い分は聞かず、デートへ行くのも邪魔した。
もうでも、これ以上、実家に縛られていたら、私の人生は終わるような気がした。
「そんなにその男と付き合いたいのなら、親を捨てて出ていけ!縁を切れ!」
母はそう言い、私は出て行った。
私は、親を捨てたことになり、帰る場所もなかった。
結局夫と結婚することにしたが、婚約指輪も、結婚式も、披露宴もなかった。
彼と、居場所を作れるかもしれない、それだけが、希望の光だった。
だから、結婚して間もない時、不安な私は彼に問いかけた。
「私のことはずっと好き?」
「一生好きでいられるかどうか、そんなものわからない。」
もう後には戻れない。
私が、自分の人生を、先の見えない未来への心細い道を照らす、わずかばかりの灯りを求めた、その時に。
夫は私にそう言い放ったのだ。
残酷なセリフを夫は、そうとも思わず、なんのてらいもなく言う。
それが夫だ。
私の光になるつもりは毛頭ないのだ。
誰かとうまくやりたい。
私は、子どもの頃から、ずっと、ずっと、自分の居場所を探している気がする。
温かくて、思いやりと、優しい言葉にあふれた、リラックスできる場所を。
夫や毒母との葛藤、まず誰かに話してみてください。
私も、まだ毒母と決別できているわけではなく、幼少期からの葛藤や問題を解決していくには、まだまだ時間がかかると感じている。
ただ、こうやってブログを開設し思いを綴り、毒を吐き出していこうと思えるようになったのも、私の気持ちを無批判に聞いてくれる人たちの存在があったからだ。
いきなり、心を自由に、自分の気持ちのままに生活することは難しいかもしれない。
まずは、信頼できる人に話してみる…それが、自由への一歩だと感じている。
どちらも登録料は無料です。
誰にも知られることなく、相談することができます。
女性専用のオンライン・カウンセリング【ボイスマルシェ】
気持ち・人間関係も占い、様々な悩みに対応します。【電話占いヴェルニ】