以前の「母がお風呂に入れてくれない」記事を読んで、多くの人が感じるだろう。
「なぜ、勝手にお風呂入ったりシャワーを浴びたりしなかったの?」
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毒母の描く物語のキャラを生きてた少女時代。まるで操り人形だった。
Contents母の ...
私も今、その場面を振り返ると、とても滑稽に見える。
朝、早く起きてこっそりシャワーを浴びれば良いではないか。
小遣いで洗顔料を買って清潔にすればよいではないか。
そうすれば、私は、学校で惨めな思いをしなくてもよかったのではないか。
Contents
10代の私は、母の意向に背くことは、なぜかしなかった。
「したいけどできなかった」というような積極的な動きではない。
私は、母に反対されたことは、決してしなかった。
母の言葉に、ひたすら従順な私がいた。
…母に従わねばならない。
…母の言うことを聞かないと怖い。
そんな風に考えたことはなかったように思う。
母の考えを読み、顔色をうかがい、今母に言う言葉は何が適切か、どんな行動が母に受け入れられるのか、そう考えて先回りするのが私の常だった。
ただ、私の中で自分でも意識していない、でも、思春期の女の子にあって当然の感情、願望が、私の中でどんどんと膨らんでいく。
誰も攻撃しないで。
嫌われたくない。
かわいい子に見られたい。
引け目を感じずに友達と話して笑いたい。
遊びたい。
今、中学生のメイちゃんの代弁をすると、 こんな感じだったような気がする。
でも、当時の私は、誰にも言わないし、誰にも求めない。
空気の抜ける行き場がない、張り詰めた風船は、パンパンになってはじける。
そして、風船が割れた時、つい、 そこから漏れ出す。
「毎日お風呂に入りたい。」
その言葉に込められているのは、パンパンの風船に入っていた、たくさんの思い。
だから、お風呂を却下された私は、その裏にあるたくさんの思いも拒絶されたような感覚に囚われ、傷つき、そして、さらに心を閉ざしていく。
こうやって振り返ってみると、私にも問題があったようにも思えてくる。
でも、だからといって私はどうすればよかったのだろうか。
『~してもいい?』と聞かないと、何もできない子だった。
子どもの頃、母にからかわれたことがある。
「芽依は、どうして、いつも『~していい?』って聞くの?
そんなの、聞くほどのこととちゃうやん。」
そう母から言われるまで、私は、母にいつも許可をもらっているという感覚はなかったし、許可を求める気持ちもなかったと思う。
ただ、何かをする時は、『~していい?』といつも聞いていたことは覚えている。
そうやって母に問う時、 私の心の中にあるのは不安だったと振り返る。
私はいつも不安だった。
失敗するのが怖かった。
幼稚園へいく時は、怖い気持ちになって行き渋り、いつも泣いていて、よくお漏らしをしていた。
職員室でパンツを履き替えるのが恥ずかしかった。
そんなだから、いじめられて幼稚園はやめてしまった。
小学生の時、忘れ物をしたときはこの世の終わりのような恐ろしい気分になり、激しく泣いて周囲を困らせたことを覚えている。
何に、とか、誰に、とかでなく、いつも不安で、母に確かめないと 身動きが取れなかったのかもしれない。
ただ、小学生、中学生の日常は、決められたスケジュール、関係性の中で成り立っていて、その中からはみ出さずに動いている限り、私が決められない不安な人間だとは誰もわからない。
誰も気づいていたなかったと思う。
自分さえも、つい最近まで、「自分のやりたいようにやっていない事実」に気づいていなかったのだから。
毒母との葛藤、まず誰かに話してみてください。
私も、まだ毒母と決別できているわけではなく、幼少期からの葛藤や問題を解決していくには、まだまだ時間がかかると感じている。
ただ、こうやってブログを開設し思いを綴り、毒を吐き出していこうと思えるようになったのも、私の気持ちを無批判に聞いてくれる人たちの存在があったからだ。
いきなり、心を自由に、自分の気持ちのままに生活することは難しいかもしれない。
まずは、信頼できる人に話してみる…それが、自由への一歩だと感じている。
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