母の物語のキャラクターを生きてた少女時代。
たぶん、思春期が始まったころだったと思う。
私は、母には「本当の私のこと」を話さなくなっていった。
正確に言えば、話す試みを何度か繰り返し、否定され、傷つき、話すことを徐々にあきらめたという感じだった。
ただ、本当のことを話していないと思われてはいけない。
私は、日々「母向けの話題」をイメージしていた。
勉強の進捗状況や、級友間で起こっているトラブルの話、先生の様子、部活の厳しさなど、母が食いつきそうな話題、自分の周りに起こっている出来事をスクープよろしくまくしたてた。
母は、私のことをおしゃべりな子だと思っていたに違いない。
おしゃべりな子を演じることで、私の心の中や、私に起こっていることは母に知られずにすんだ。
ブツブツと呼ばれていた中学時代。いやだったな。
思い出す。
私は中学の頃、運動部に所属していた。
毎日の練習は厳しく、泥だらけ、汗だくで帰宅したものだった。
問題があった。
母は、毎日風呂に入れてくれなかったのだ。
私は、部活でいつも汗だくだったし、脂しょうだったのでニキビもでてきた。
背中、お尻、肩、上半身のあらゆるところがニキビだった。
私の顔のニキビはどんどんひどくなり、そのうちにあだ名が「ブツブツ」になっていた。
男女問わず、私のことは皆ブツブツと呼んだ。
もう、本当の名前で呼んでもらえなかったので、ブツブツと呼ばれて返事せざるを得なかった。
学校では、酷いいじめはなかったが、いつもオドオドしていて、怒りを表さない私は、格好のいじられ役だった。
「おい、ブツブツ」と呼ばれて、悲しい顔は少しも見せずに「なあにー?」と力ない笑顔でふり向いていたと思う。
お風呂に毎日入らないので、脂性の私の髪はベタベタだった。
教室では、男子たちにからかわれ、「整髪料(当時は校則違反だった)をつけている」と先生にちくられ、先生に呼び出されて訳を聞かれた。
「お風呂に入ってないからベタベタなんです。」とは恥ずかしくて言えなくて、黙って下を向いて立っていた、みじめだった。
その日の夜、母に「毎日風呂に入りたい。せめて髪の毛を洗いたい。」と言ってみた。
母は、私が理由も聞かず、イライラし始め「何や色気づいて!」と怒った。
とても悲しかったけど、私は、なぜか“思春期に入って、ちょっと色気づいた女の子”を演じ、母の批判に合わせて、照れくさそうなバツの悪そうな顔をした。
心の中では、泣いていた。
これが、私と母との関係だ。
母は自分の物語が世界だと信じている
私と母の世界は、すべて母の物語でできていて、私が少しでも自分の心の世界、心の物語を語ろうとすれば、それは、絶対に受け入れられなかった。
だから、私は、母に本当の話はしない。
「私の本当の話」をしないからと言って、社会のこと、世間話、共通の話題はいくらでもあるので、母も私も不自然な関係ではずっとなかったと思う。
親子関係はそんなものだ、大人になるまでそう思っていた。
毒母との葛藤、まず誰かに話してみてください。
私も、まだ毒母と決別できているわけではなく、幼少期からの葛藤や問題を解決していくには、まだまだ時間がかかると感じている。
ただ、こうやってブログを開設し思いを綴り、毒を吐き出していこうと思えるようになったのも、私の気持ちを無批判に聞いてくれる人たちの存在があったからだ。
いきなり、心を自由に、自分の気持ちのままに生活することは難しいかもしれない。
まずは、信頼できる人に話してみる…それが、自由への一歩だと感じている。
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