大学生時代、母がしんどいとかどうとか、深く考えなかったと思う。
だいたい、まだ、母が悪いとか気づいてすらなかったような気がする。
あの手この手で、家族との接触は必要最低限におさえることができていた。
中学生の頃から、母との心の距離感は自分なりに、気づかれないように、巧妙にコントロールしていたし、小遣いをやるという母をふりきって賄い付きのアルバイトをし、夜遅くに家に帰っていた。
リビングで一緒の時は、母は博学だったので、最近のニュースや文学に関する意見を求めたり、世の中のことについて話し合ったりした。
こんな時の母は朗らかで、私も不快ではなかったし、学ぶことも多かった。
母との関係において、一番穏やかだった時期だと思う。
Contents
毒母の呪いか?!醜形恐怖で苦しんだ大学時代
当時、もっとも悩んでいたのは、醜形恐怖的なことだったと思う。
醜形恐怖とは、自分の容姿や外見を実際以上に醜いものと妄想的に思い込んでしまい、日常生活や人間関係にさし障る心の病気だ。
醜形恐怖症(身体醜形障害)の特徴
外見の欠陥・欠点へのとらわれ
1つ以上の身体上の外見の欠陥または欠点にとらわれているが、それは他人には認識できないか、できたとしても些細なものに見える。
心配に対する反復的な行動
外見上の心配のために、繰り返し行動または精神的行為を行う。
鏡の確認、皮膚の摘み取り、衣服の交換など。日常生活における苦痛、障害
外見へのとらわれが、苦痛、または社会的・職業的・他の重要な機能の障害を引き起こしている
※外見のとらわれがあっても、摂食障害の診断基準を満たしている場合は、醜形恐怖症とは区別する。
アメリカの精神障害の診断と統計マニュアル『DSM‐5』を基にまとめました
また、Wikipediaによると、
醜形障害者は妄想的に確信を抱いたとらわれのパターンと、元々(生まれつき)の細かい「欠陥」にとらわれてしまうパターンとがある。後者は投薬治療では中々改善しない場合が多く、10年近く症状で悩まされる場合も多い。いずれにしても、細かい顔や体に対する欠陥や妄想的とらわれが身体醜形障害の特徴である。
私は後者の方だと思う。
子どもの頃から、長い間、私は自分の細かな身体的特徴をとらえては、自分が醜い証拠と確信し、絶望していた。
色が黒い、ガリガリで痩せている、目は一重で腫れぼったい。
「色白は七難隠す。芽依は黒いから、かわいそう。」
「芽依の足は、ゴボウみたいやな。」
「花子(妹)は、かわいいからいいけど、あんたは苦労するやろなあ。」
「いずれ整形した方がいいじゃない。」
母には、物心がついたときから、こんなことをよく言われた。
大げさと受け取られるかもしれないし、信じてもらえないかもしれないが、本気で、世界一ブサイクだと思っていた。
自分が世界一ブスだと思っている大学生が考えることは
私は誰からも愛されないし、恋人はできない。
オシャレをしても恥ずかしいだけで似合わない。
心の底ではオシャレもしたかったし、恋人も欲しかった。
ただ、まれに私のことを好きだと言ってくれる奇特な人が現れても、その気持ちを信じられなかった。
本気ではないんじゃないか…
私が醜いことにまだ気づいていないだけ…
私のことを勘違いをしているんだ…
そんなことばかりが頭をよぎり、恋愛関係はまったくうまくいかなかった。
はじめて真剣につき合った人とも、(たぶん)醜形恐怖のためにうまくいかなかった
高校生の時に、大好きな人ができて、その人が私のことも好きだと言ってくれてつき合うことになった。
私は、学校帰りに塾に行く顔をして、よく彼の部屋を訪れた。
彼の部屋は完全に独立していて、一緒に音楽を聴いたり、何時間もおしゃべりをした。
キスもした。
ある日、彼の部屋で、いつものように楽しくイチャイチャしている流れで、彼が私の制服のボタンをはずそうとした時、とてつもなく悲しい気持ちになってしまった。
…私の醜さがバレてしまう!
…全てが終わりだ、絶望だ!
…こんな醜い私を見ないでほしい!
そんな気持ちが波のように突如押し寄せて、不安と恐怖でいっぱいになり、激しく動揺した。
私は、泣いていたかもしれない。
「ごめんね、まだ…」とやっとの思いで呟くと、彼は察したように優しい笑顔で手を止めてくれた。
彼は、何も聞かなかった。
彼が聞いてくれれば、胸の内を話せたように思うが、
彼もまた、まだ10代の子どもで、私に隠した緊張と不安を強く感じながらボタンに手をかけたに違いない。
私の動揺をあつかう余裕と人生経験は、私にも、彼にも、なかった。
仕方なかった。
でも、心の中では大好きな彼と、そういう関係になりたかった。
優しい手で、私を触ってほしかった。
その後、私は彼を避け続けて卒業を迎え、お互いに別々の大学に通うようになると、連絡も取らなくなった。
本当に、大好きで、素敵な人だった。ごめんなさい。
そんな感じで、世界一ブスな私の青春時代の思い出は散々だ。
ついでに言うと、醜形恐怖の私の初体験は最悪だ。
自分は醜くて相手されるに値しない人間だから、自分を大事にしてくれる人、大好きな人とはそういう関係になりにくかった。
だから、私を何とも思ってない人、行きずりの人、性的満足だけを得ようとする人、そういう人とセックスをした。
彼らの甘い言葉は、私を性欲解消に利用するための、その場限りの偽りだとわかっていても、強く誘われると、どう断っていいかわからなかった。
自分は、断ってもよいレベルの人間とも思えなかった。
初体験の相手も、年上の社会人で少しかっこいい、ってだけの適当な人だった。
今や、顔も名前もほぼ忘れているし、私の人生に何の関係もない人だ。
やさしくもなかったし、ロマンチックでもなかったし、適当に触られて、とりあえず相手が射精して終わり。
避妊具も付けていなければ、中出しされていたと思う。
乱暴に扱われたわけではなかったが、愛された感じはまったくなかった。
でも、当時は、そんなもんだと思っていた。
自分は、醜いから、別に適当に扱われるのは仕方ないと思っていた。
そういった男たちは、避妊具もつけなかったし、私の体を気づうこともなかった。
ああ、辛いな。
子どももいて、40歳も過ぎているのに、20年以上昔の話なのに、
今、書きながら涙が止まらない。
毒母との葛藤、まず誰かに話してみてください。
私も、まだ毒母と決別できているわけではなく、幼少期からの葛藤や問題を解決していくには、まだまだ時間がかかると感じている。
ただ、こうやってブログを開設し思いを綴り、毒を吐き出していこうと思えるようになったのも、私の気持ちを無批判に聞いてくれる人たちの存在があったからだ。
いきなり、心を自由に、自分の気持ちのままに生活することは難しいかもしれない。
まずは、信頼できる人に話してみる…それが、自由への一歩だと感じている。
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