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BLOG 毒母ノート

子育てをしていて気づいたこと。「子どもが生まれたら、親のありがたみがわかる」は嘘。

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「子どもが生まれたら、親のありがたみがわかる」
私はのんきに、この一般論が自分にもあてはまるだろうと思っていた。

親にありがたみを感じられない自分の頭はおかしいとずっと思っていたから、親をありがたく思える日を心のどこかで期待していたのかもしれない。

しかし、その時はいっこうに現れず、子育てをすればするほど惨めになる。
私がいかに(特に心理的な面で)配慮をされずに育てられたかということが、子育てをとおして日々実感される。

 

私と私の子どもの幼児検診

母は私の3歳児検診に行かなかったと、子どものころから武勇伝のように聞かされていた。

理由は、「妹もいて大変だったから。」「年子の子育ては本当に嵐のよう。」
母のこんな育児大変話をよく聞かされた。

子どもを産むまでは、そんなものか、育児はそこまで大変かと素直に思っていたものだ。

妹は私が1歳の誕生日を迎える前に生まれ、あまり年の差はない。
私が3歳児検診の時は、妹は2歳。

それなりに子育ては大変だっただろうが、私たちは、母の特訓の成果で1歳にはオムツが外れていて、とても聞き分けの良い子どもたちだったらしい。

息子の2歳半検診(ここら辺では、3歳児ではなく、2歳半検診です)のとき、私は、妊娠9か月だった。
検診の当日、その日は夫の親が病気で倒れ緊急入院、手伝いに行かねばならなかった。
ただ、私は仕事をしており、検診の日は、保健センターにお願いして振り替えてもらった日だった。

長男は食事がうまく進まず、とても痩せていて、検診で相談しておきたかった。

どうしよう…一瞬考えたが、時間的に動けないことはない。

私は、頼まれていた入院の道具を揃え、持参して早めに保健センターに到着する。
保健センターの職員の方に事情を話して検診の順番を早めていただき、検診が終わったその足で、義父の病院に駆け付けた。

やんちゃ盛りのちょろちょろ動き回る男の子を、重いお腹を抱えてあちこち連れまわすのには疲れたし、長男もまだ小さいのに、おじいちゃんの病院で深刻な話を聞くのによく耐えてくれた。

何とか、その日をクリアできた。ほっとした。

そんな時に、ふと思う。

二人連れての検診は、そんなに大変だったのだろうか。
子どもの発達に関心はなかったのだろうか。

 

とすると、私は、愛されていたのだろうか。

たぶん、これは不毛な問いかけだ。

母が、母親としてするべき、ふるまうべきと思っていることと、
私が、母にしてほしかった愛され方と、
私が、自分の子どもに対する愛情の持ち方や、母親としてしたいことと、
それぞれ、形が違うのだ。

「感謝しています。育ててくれてありがとう。」
母に対して思いたくて、思いたくて、でも思えなくて、乾いた喉を、ジリジリする胸をかきむしるような思い。

その感覚は、子どもが私に甘えてくる時、学校のことを楽しそうに報告する時、逆上がりができたとき、子どもの寝顔、満面のほほえみ…子どもとのふれ合いに、喜びと、愛しさと命の充実感を感じようとする、その瞬間に、同時に胸にこみあげる。

やっかいなことに。

私の最も幸せな愛すべき瞬間は、同時に、とても苦しい瞬間となる。

子どもの笑顔を手放しでかわいいと思える日は、来るのだろうか。

来ると思って、前に進みたい。

 

夫に話してみよう。

昨夜、夫に「母のことで相談したい」と言った。

夫「もう、決めてるんやろ」

私「いや、まだわからないから」

夫「言ってみ」

夫は、毎晩しこたま飲んで、大抵のことは忘れてしまう。
私が、大事な話をしようとしているのに、飲みながらって少し腹が立ったが、

「飲んでたら忘れるやろ。有給休暇を取ってでも、ちゃんと聞いてほしいくらい。」
と、冷静に言うことができた。

母と縁を切れたら、夫ともやり直せる予感がしている今日この頃。

 

毒母との葛藤、まず誰かに話してみてください。

私も、まだ毒母と決別できているわけではなく、幼少期からの葛藤や問題を解決していくには、まだまだ時間がかかると感じている。

ただ、こうやってブログを開設し思いを綴り、毒を吐き出していこうと思えるようになったのも、私の気持ちを無批判に聞いてくれる人たちの存在があったからだ。

いきなり、心を自由に、自分の気持ちのままに生活することは難しいかもしれない。

まずは、信頼できる人に話してみる…それが、自由への一歩だと感じている。

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